1980年代、経済資本主義としてアメリカが発展していく中で同時に成長した心理医療。そして一躍有名になった言葉が発達障害。

いまやまるで発達障害という言葉が先にあって、「自分は発達障害ではないか」「あなたのお子様は発達障害だったら」などという文面を目にしますが、

人間の歴史はもっと古く、旧石器時代でも200万年前から。精神医療など後付けの40年の歴史しかありません。DSMが有名なったのはもっと最近なので、それよりもっと短いでしょう。

なので発達障害は当たり前ですが後付けです。

発達障害とはたかだか30年以内の社会で見たときに人間を判断しているものなのです。
DSMやそれに関わる精神医療や製薬会社もいい加減ではなく数々の研究データに基づいた上ですが、そんなもの原始時代、ましてや江戸時代や昭和でも役に立たないでしょう。

【現代社会】

大量の知識や情報があり、それを一つ一つ吟味するより鵜呑みにした方が早い。計算式がなぜそうなのか理解するより、計算式があってそれを使って解く方が早い。

【原始時代】

動物をどうやって狩るか、自分で考えなくてはならなかった。文学や教養といったものもないので、確実な方法が分かるまで動かずにいると餓死してしまう。なので辺りを見渡したり気を常に周囲に向ける必要があり(注意散漫)、地形を把握したり、食べ物を確保したり、組織の様子を見に行ったり、心配ごとや必要なものを常にすべて行う必要があった(多動)。時には栄養失調により頭が回らなくても毒キノコかどうかも分からないものを食べる必要があった(不注意)。時にはその場でじっとして辛抱強くただひたすら単調な作業、火を起こしたり、石を研いだりする必要があった(自閉)。

【江戸時代】

武士と農村と一部のえたひにんの時代。農作物をひたすら耕す農作人はまさに「自閉」。一部の商人がおそらく現代における「普通の人」ということだろう。一方武士は勉学も必要だったが、武力も必要だったので相手の死も厭わない行動力が必要だった(サイコパス)。

【昭和時代】

第二次世界大戦で時にはカゼカミ特攻など、メリットを考えていては生きていけなかった時代。メリットを考えると例えそれが日本や個人、集団にメリットであることだとしても「非国民」ということにされ、罰された。確実なものというものはなく、従順でロボットのように動く者が良しとされた。ミスをミスするということを考えずとも、肉体労働や訓練をすることによって生きていくということが可能だった。

【現在】

暴力や体を鍛えること、物理的に訴えることは「ミス」とされ、総当たり的に体当たりをするような人は毒キノコをかじると「バカである」と揶揄されるように、教えられたことを正確に行え従順な人が評価されるようになった。それ以外は社会的不適合者として組織からは難癖つけて弾かれるようになりました。いくら能力があっても足し算の問題を一つ間違えただけで「仕事ができない」とされ、大学で勉強したものは全く役に立たず、企業は一生小学生の問題を解き続けることを求めます。
足し算を間違えるか、じっとそこに耐えられないと発達障害として、有りもしない後付の精神障害にされます。


と、いうようにまず、
「社会が社会としての理想を形成して、社会に適応できない人物が相対的に生まれる。」
それから、
「精神医療として
そしてひも解いてみると
「精神医療のほとんどは嘘である。」

考えてもみてほしい。「プラセボ薬(偽薬)」としての効能が大きく認められているというのに、
後付の病気名など言われると「自分は病気なのだ」と思ってしまい、潜在的にその人物は病気だとされている行動を余計に取るようになってしまう。

「科学的に改善しない」と言われていることの症状を改善するというのはそもそも矛盾している。
アメリカでもADHDは想定の3倍以上の診断がされているとされる。
主に製薬会社のキャンペーンが功を奏したからなのだけど、そもそも想定外の人数が診断されているのは、想定は想定内での人数しかいないはずなのに、良い薬ができたからといってその人数が増えるのはおかしい。

また最近では薬効に対しての論説がそもそも間違っているんじゃないか、という説も出てきている。




―仮に明日朝起きてみると、そこは異世界だった。
異世界では無一文。モンスターを倒して素材を売って、時には裏路地で怪しいおじさんと取引する…
そんなこと、ヒナのように口を開けてその食事をちゃんと食べて、そしてひたすら次の食事を口を開けて待っている…「正常」と呼ばれてる人達にはできないだろう。いつの時代も時代を変えてきたのは「頭がちょっとおかしい」と呼ばれる人達だった。それを忘れてはいけない。
それに、もしそんな人ばかりの組織があればそれはゆっくり死んでいくだろう。